吉野屋遺跡
1 名 称 吉野屋遺跡
2 所 在 地 三条市吉野屋
3 主な時代 縄文時代(じょうもんじだい)
4 発掘時期 昭和44年・平成22年
5 概要
吉野屋遺跡は縄文時代中期のムラ跡で、東山丘陵から続く台地に立地しています。
明治時代からその存在が知られていて、昭和44年に工場の建設に伴い発掘調査が行なわれました。
工場造成中にも多量の遺物が出土し、考古学愛好家によって遺物が採集され、貴重な出土品が今日に伝えられています。
吉野屋遺跡01 昭和44年発掘調査のようす
縄文時代の地域の中核のムラ 吉野屋遺跡
秋の実りの収穫後、周辺の集落から大勢の人々が集い、モノが集められ、まつりが行なわれました。まつりには、収穫物を平等に分配し、地域のつながりを強める働きがありました。吉野屋遺跡では土偶(どぐう)や三角形土製品(さんかくけいどせいひん)などのまつりの道具が多く出土していることから、まつりが行なわれた地域の中核的なムラであったと考えられます。
縄文土器(じょうもんどき)
出土した縄文土器はほぼ完全な形に復元できるものがたくさんあります。信濃川流域で発達した火焔型土器(かえんがたどき)のほか、北陸地方や東北地方の影響を受けた土器がみられます。縄文土器は文様や形から、どこの地方の影響を受けているのか推測することができます。
吉野屋遺跡02 出土品 縄文土器(捧コレクション)
吉野屋遺跡03 出土品 石器
吉野屋遺跡04 出土品 線刻土器(小川忠博氏撮影)
吉野屋遺跡05 出土品 土器獣面把手(小川忠博氏撮影)
吉野屋遺跡06 出土品 ミニチュア土器
吉野屋遺跡07 出土品 石棒
土偶
まつりや祈りのために用いられた遺物(いぶつ)がたくさんあり、その中で最も多く出土しているのが土偶です。
粘土でつくられた素焼きの人形で、県内で最も多く百体以上が出土しています。丸いお尻や乳房、妊娠を思わせる膨らんだお腹など、そのほとんどが女性を表現しています。また、頭や手足、胴体がバラバラに壊れた状態で出土することが多く、完全な形で残っていることはほとんどありません。このため病気や怪我などの身代わりとしてわざと壊したとする考えがあります。縄文人たちは、森羅万象(しんらばんしょう)の中にいるカミを、生命を産み出す女性の形を借りて表現し、豊穣(ほうじょう)や再生、健康を祈ったのでしょう。
吉野屋遺跡08 出土品 土偶(小川忠博氏撮影)
吉野屋遺跡09 出土品 土偶(小川忠博氏撮影) 土偶の顔
頭部が皿状であったり、目が大きかったりしていて、現代の私たちから見ると宇宙人のように見えるかもしれません。実際に見ることができないカミの顔を表現するのは難しく、また、縄文人に似てしまってはいけないと考えたからではないでしょうか。
吉野屋遺跡10 出土品 土偶(小川忠博氏撮影)
吉野屋遺跡11 出土品 土偶
吉野屋遺跡12 出土品 土偶(小川忠博氏撮影)
吉野屋遺跡13 出土品 土偶(小川忠博氏撮影)
三角土製品
3〜7cmほどの二等辺三角形をした土製品です。外側には点や線などで簡単な文様が付いていて、人の胴体を表現していると考えられます。わずかに内側に反っています。土偶と同じような用途が考えられます。
吉野屋遺跡14 出土品 三角形土製品(小川忠博氏撮影)
耳飾り
現代のピアスのように、耳たぶに穴を開けてはめ込んだもので、土偶にも耳飾りを付けたものがあります。穴があいたドーナツ型の滑車形耳飾(かっしゃがたみみかざり)と呼ばれるものと、現代の耳栓(じせん)に似た形のものがあります。これらは人生の通過儀礼(つうかぎれい)ごとにつけられたものでしょう。
吉野屋遺跡15 出土品 耳飾り(小川忠博氏撮影)
6 展示
で展示しています。
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更新日:2023年06月12日