佐藤源助
◆当校3.4年生は、ふるさとに学ぶため、佐藤源助さんについて調べ学習をしました。
江戸時代の末、田屋村を治める佐藤源助(榮仙佐藤)さんは、森町、田屋、前谷などの村々を切り開き、
水を引き入れることにより、日照りでも作物が出来るようにしました。
また、吉ヶ平村から会津へ抜ける八十里越えと呼ばれる険しく狭い道を大規模に整備しました。
牛馬に重い荷をのせて行き来できるようになり、吉ヶ平は宿場町として栄えました。

長禅寺にある石碑には佐藤源助さんの
数々の功績が記されています。
大きな川からいくつかの村へ水を引き込み、
起伏の大きい荒れ地を切り開き耕したことで
藩(村松藩)は安定しました。
日照りの間、飲み水の不足にも苦しんでいた
住民の喜びの大きさも容易に想像出来ます。
五十嵐川下流の方々や藩との話し合いを粘り強く続け
行動し続けた佐藤源助さんの功績は偉大です。

下田郷に見られる「まぶ」と呼ばれる水路です。
川から離れた高台に、上流から高低差を利用して
水を引くために山を掘り水路をつくりました。
佐藤源助さんは、地形を見てどのように水を導き
流し込めばよいかを見抜く才能がある方でした。

八木山の麓の院内村から田屋村に至る「まぶ」は
延長3370mに及びます。
今も現役で活躍している「まぶ」も多く、
地域の方々が毎年整備されています。