国道289号八十里越

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2022年3月1日

三条市、福島県只見町、南会津町とともにホームページ「八十里越街道」を公開しました。

今後の3市町連携等については「八十里越街道」で公開してまいります。

 

 

 

 

国道289号(通称、八十里越とは)

国道289号は、昭和45年に国道として認定された新潟県新潟市を起点として福島県いわき市に至る総延長304kmの道路です。

このうち新潟県三条市(旧下田村)から福島県只見町に至る県境部分が「八十里越」であり、実際の距離は八里しかないのですが、あまりの険しさゆえ一里が十里にも感じられたことから古来「八十里越」と呼ばれています。

また、「八十里越」は、司馬遼太郎の小説「峠」の舞台となったことでも知られる歴史の道です。

 

現在、県境部分19.1kmは一般車両が通行出来ない「通行不能区間」となっていますが、これを解消するべく国土交通省・福島県・新潟県では289号改築事業を共同で進めています。

この地域は日本でも有数の豪雪地帯のため、半年間しか工事出来ませんが、着実に事業は進められています。

 

引用 : 八十里越地区工事関係者連絡会議発行「国道289号八十里越だより」

 

 

◆語り継がれた歴史の面影をいまに伝える八十里越◆

国道289号から望む八十里越

国道289号から望む八十里越

 

「八十里越」の由来は諸説あります。

「壬寅随筆」や「嵐渓史」には、困難な山道なので、一里を十里にあてて八十里越と呼んだとあります。 越後山脈と帝釈山脈の急峻な峰々に囲まれた南会津地域にとって、「八十里越」は越後に通じる重要な道路であり、文献によると、戦国時代に越後・岩代両国間の交流が確認されています。

この八十里越を利用して、南会津地域では、食塩・魚類・鉄製品などの生活用品を越後から移入し、また、ここから繊維原料、林産物、労働力などを越後へ送り出していました。 このように、中越地方と南会津地方は深い依存関係で結ばれ、経済的・人的交流は明治末期まで続きました。

 

◆自動車交通時代に取り残された八十里越◆

大正3年に岩越線(現磐越西線)が全通し、物資や商品の輸送が八十里越から鉄道へと移行し、八十里越は衰退しました。

今日に至るまで八十里越の整備は遅々として進まず、現在では通行も不可能な「けもの道」の様相を呈するまでに荒廃してしまいました。

 

◆八十里こしぬけ武士の越す峠◆

河井継之助

河井継之助

 

慶応4年5月2日、北陸道を進んだ新政府軍軍監岩村精一郎と長岡藩軍事総督河井継之助らが行った「小千谷会談」の決裂によって奥羽越列藩同盟が生まれ、越後は全面戦争へと発展した。

7月25日、北陸戦線のなかでもっとも激しかったと伝えられる奇襲によって長岡城を奪還したが、29日に新政府軍の反撃に支えきれず落城した。長岡城奪還戦の際、敵弾で足をくだいた河井継之助は、担送されて、見附、文納、葎谷を経て8月3日、吉ケ平に入った。翌4日、八十里越に向かい、山中で一泊、6日に只見に着くが、会津側では大三尾の上部に短路を開いて協力した。

いまでもその部分は「河井新道」と呼び伝えられ、かすかに痕跡をとどめている。

八十里越を世に知らしめた戊辰戦争を語るとき、多くの人々は河井継之助のいたましさを思う。2度と帰ることのない八十里越は死の道であった。「八十里こしぬけ武士の越す峠」の狂句には、越後の山々を、空を、凝視しながら悔悟の自嘲をかいまみることができる。

(出典:「八十里越(国道289号)-記録が語る歴史の道-」)

 

 

 

三条市の八十里越事業の歩み

◆地域を結ぶ国道289号として◆

日本列島を縦横に結ぶ道路網の建設が叫ばれはじめ、太平洋と日本海を結ぶ幹線ルートのひとつとして、この峠道が見つめ直され、昭和44年11月に閣議決定、昭和45年4月1日に新潟市を起点として、いわき市に至る全長250.5km(現在の総延長306.8km:2010道路統計年報)の本州を横断する一般国道289号に昇格しました。八十里越の計画区間は、昭和61年度に直轄権限代行で事業実施に着手しました。

 

◆豊かな自然に囲まれた新しいルート◆

八十里越の計画区間は、五十嵐川・叶津川をはさむ越後山脈のほぼ中央に位置しており、南に守門岳、浅草岳、鳥帽子岳、北に粟ケ岳、中の又山など標高1,000〜1,500m級の山々があります。また、計画区間は、越後三山只見国定公園、奥早出・粟・守門県立自然公園内を通過しており、豊かな自然環境に位置しています。

本地域は、日本でも有数の豪雪地帯です。289号の開通により一年を通じて信頼性・安全性の高い通行が確保されます。

今までより、距離、時間が大幅に短縮されます。このことにより、輸送コストの削減による市場の拡大など、経済活動の活性化と輸送力の向上に寄与します。

国道289号沿いの市町村は、美しい自然環境と独自の歴史・文化・産業を持っています。福島・新潟・佐渡を含めた、これら観光資源が連なることで、周遊型・滞在型の観光が楽しめます。

 

 

工事の状況

2021年4月27日、国土交通省 北陸地方整備局は「八十里越」について、「今後5か年程度での全線開通を目指す」との目標を公表しました。

 

 

秘境八十里越体感バスツアー

〜 感じよう、あふれる自然・歴史ロマン・未来へつなぐ土木技術 〜

一度途絶えた会津と越後の道が時を超えて再び結ばれる「国道289号八十里越」の工事見学を通じ、事業の効果・必要性を感じてもらうとともに秘境八十里越の最大の魅力である「あふれる自然」や「河井継之助にまつわる歴史ロマン」を実際に体感してもらい、心満たされる豊かなひと時を過ごしてもらうため、「秘境八十里越体感バス」を運行します。

詳しくはこちら

 

 

越後・南会津街道観光・地域づくり懇談会及び円卓会議について

越後・南会津街道観光・地域づくり懇談会の設立

越後・南会津町観光・地域づくり懇談会(オンライン開催)

越後・南会津街道観光・地域づくり懇談会

◆設立年月日◆

令和2年5月21日設立

◆設立趣旨◆

国道289号は、新潟県新潟市を起点として、福島県いわき市に至る幹線道路であり、新潟・福島両県はもとより東北及び北陸地方の産業、経済、文化、観光の新たな交流を促進させるべき地域連携軸として極めて重要な役割を担う路線です。

しかしながら、新潟・福島両県境にある「八十里越」については未だ交通不能となっており、その役割が十分果たされておらず、一日も早い全線開通が望まれています。

そこで、国道289号の沿線地域である、三条市、只見町、南会津町の行政や関係する商工会、観光協会、そして国及び福島・新潟両県からなる「越後・南会津町観光・地域づくり懇談会」(以下、懇談会)を設立し、年に一度、工事の進捗状況を見据えながら、「越後・南会津街道観光・地域づくり円卓会議」の取組状況の共有、及び懇談会参加者個々の取組に関する意見交換、情報交換を行っています。

◆構成◆

【商工会】

三条商工会議所、栄商工会、下田商工会、只見町商工会、南会津町商工会

【観光協会】

三条観光協会、只見町観光まちづくり協会、南会津町観光物産協会

【行政機関】

三条市、只見町、南会津町、新潟県観光局、新潟県三条地域振興局、福島県商工労働部観光交流局、福島県南会津地方振興局、福島県南会津建設事務所、北陸地方整備局長岡国道事務所、北陸信越運輸局観光部、東北運輸局観光部

 

◆懇談会の内容◆

越後・南会津街道観光・地域づくり円卓会議の設立

越後・南会津街道観光・地域づくり円卓会議

◆設立年月日◆

令和2年5月21日設立

◆設立趣旨◆

国道289号(以下「八十里越道路」という。)の開通は、新潟と福島をつなぐ新たな交通ルートの誕生であり、観光客を始めとする人の流れの大きな変化が見込まれます。八十里越道路の沿線地域においては、単なる通過点になることなく、観光の目的地として選ばれるよう、相互互恵関係を構築するため広域的な連携が求められます。

三条市、南会津町、只見町(以下「3市町」という。)は豊かな自然を活かした観光資源を有する点において地域風土が類似していることから、八十里越道路を介した「越後・南会津街道」を一連の広域観光地として構築し、交流人口の増加に資する広域観光施策の推進を図る実働の組織として、三条市、只見町、南会津町の観光事業におけるキーパーソンと観光に関する有識者からなる「越後・南会津街道観光・地域づくり円卓会議」(以下「円卓会議」という。)を設置しました。

円卓会議は年に数回開催しており、圏域の観光連携コンセプトや観光・地域づくりにおける具体的な活動連携の検討及び実施を行っています。

◆構成◆

委員20人以内をもって組織し、観光分野の専門知識を有する者について3市町の首長が委嘱する。

◆円卓会議の内容◆

 

 

◆連携市町の紹介◆

この記事に関するお問合せ
経済部 営業戦略室 観光係

〒955-8686 新潟県三条市旭町2-3-1
電話 : 0256-34-5605 (直通) ファクス : 0256-36-5111
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更新日:2023年10月19日