2 図書館等複合施設について

御意見

建設が始まる図書館についてです。建設計画のパブコメは4件だったそうですが、そのうちの2件は私です。長文のパブコメに図書館への思いを綴ったのですが、数個の箇条書きに変換され、「物づくり」偏重の前市長には届かなかったとおもいます。そこで改めて、滝沢市長に訴え、軌道修正できる部分は(主にソフトの部分になるかと思います)再考をお願いしたいと思う次第です。ちなみに、このパブコメ全文は現在の図書館長には渡してあって、館長はそれに沿って、様々な試みを実行してくださいました。

 

最初のパブコメ

なぜ、図書館と「ものづくり」を結び付けないといけないのでしょうか?「図書館」「鍛冶ミュージアム」「科学教育センター」と現状の課題は、皆バラバラです、そして突然、複合施設のコンセプトが出てくる。課題からコンセプトに至る必然性がないのです。それぞれの課題を解決し、建物を共有して、費用を抑えるだけでも、十分な建設理由になるのではないでしょうか?

このコンセプト自体、理解できない部分も多々あります。コンセプトを示されても、具体的に、どのような設備やサービスが提供されるのかが、イメージできないのです。説明を読んでも、腑に落ちるところまでいかない。そして、例えば、図書館については(私は正直、図書館にしか興味がないので)、コンセプトの説明以降、現状の課題をどう解決するかについては、記述がありません。

そもそも、現状の課題は、ハード面で、駐車場、学習室、空調等ごく少数であり、本当にこれだけなのか?ソフト面の課題は何もないのかと疑問を抱かざるをえません。三条在住3年弱の私でさえも、いろいろあります。例えば、NAXOSをやめたこと、他の図書館との連携のノウハウがないこと、新聞の縮刷がないこと、スタッフの質の問題が残念です。資料を検索するプロも置いて欲しいですね。「これなら、どこそこにある」と言えるような。(三条の図書館の外も含めての検索です。もちろん)。

今までの課題を精査して、次につなげてこそ、新しいコンセプトのもとでの再出発が可能になると思います。いくら、新しいコンセプトと言っても、現状の課題をチャラにするのは、いけません。

現状の課題を、もっと丹念に精査されたらいかがでしょうか?来館した人の意見だけでなく、来館しない人が、何故こないのか、あるいは、来なくなったのか等。他の図書館の例も、もちろん参考にされたでしょう。もっと見えてくるものがあると思うのです。

三条の人口のうち、製造業に携わる方は15,000人、その中で、「ものづくり」関連の方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか?

私は、図書館の役割は、経済に資することではないと思います。今の時代、何を作る場合も常に、費用対効果が求められます。ですが、図書館は、市民みんなのものであり、将来、どういう市民を育てたいのか?という大きな時間の中で、評価されるべきだと思います。「ものづくり」する人を育てるのも、内外の古典を読んで教養を身につけた人を増やすのも、現代史を調べて日本の将来に思いをはせる政治家を輩出するのも、でたらめに本を読み漁って、人生を変えるような本に出会う機会を提供するのものも、ノーベル文学賞を受賞した絶版のディランの高価な詩集を読みたい人の知的な欲求を満たすのも、難解な本の注釈に出ていたたくさんの本を探し求めている市井の研究者を助けることも、ベストセラーを読みたいけれども余裕がない人に、辛い日常を忘れて、いっときの楽しい時間を提供することも、ただ図書館を訪れて本が好きな子供を増やすのも、どうしても夏休み明けに学校に行きたくない子供が避難する場所を提供するのも、神経内科では教えてくれない、認知症の家族への対応の仕方を解説した書籍を提供するのも、みな図書館の役割だと思います。あえて「ものづくり」という枠で自分を縛ってしまう必要はありません。将来、どんな有能は人が育つかはわかりませんから。図書館が提供する機能は、職業選択以前の、もっと根源的・基礎的なものだと思います。かつて冷戦下の米国で高価な加速器の建設を「国防のために何の役に立つのか?」と問われて、フェルミ研究所のウイルソンは、「国防には直接役立ちませんが、我が国を守るに値する国にするのに役立ちます」と答えました。そういうことだと思います。「ものづくり」にこだわらず、文化レベルの底上げを図ることが図書館の役割です。例えば「夏目漱石が好きな職人」なんて、とても魅力的ではないですか?私なら図書館のコンセプトは、「職業によらず、三条の人間として誇るに足る人材を育てる」にします。でないと、85,000人の非製造業の人々が「蚊帳の外」感を味わいます。一方で改めて言う必要もありませんが、「利用者のニーズ」のみでは、図書館は、漫画とスポーツ新聞ばかりになります。そうなりがちの状況を上に引っ張り上げるのも図書館の大事な使命です。独自の蔵書の選定に対する図書館の役割は、そのことと密接に関係します。その基準を「ものづくり」に過度の比重をかけないでください。蔵書の選定は現状のニーズだけでなく、もっともっと未来を見つめた、極端に、ある分野に偏ることのない、懐の深いものであってほしいと思います。

加えて、このコンセプトは、建物よりも、ソフト面の比重が大きくなるはずですが、それに関しては、案では何も述べていません。建物が同じなら(近くなら)、自然と「回遊性」「人の流れ」が生ずるというのは、底抜けの楽観論です。本来、ソフトをどうするかの考えがあって、「それでは、会議室が3つくらいあったほうがいい」などとハードの要件が決まってくるのではないでしょうか。

そして、突然出てくる「日本一」。国立国会図書館をも凌駕するということですね?そんなことを競争して何か意味があるのでしょうか?私は、ふるさと創生で日本一長い滑り台を作り、3日で抜かれた丹波山村を思い出します。また、民間活力活用と言いながら、いろいろなもっともらしい言葉で飾られていますが、単に売店を開くだけ、とは、情けないと思います。売店を作りたいなら、単刀直入に、そう書けばいいではないですか。

いいコンセプトで作られた図書館に、人が集まるようになるのは、必然だと思います。はじめから、「にぎわい」を作る目的で老朽化した図書館が有力候補になって、その後でコンセプトを作る・・・。私は「にぎわい」と「図書館」の両立が、どうしてもイメージできないのです。フロアで分けると言いますが、静かな読書スペースを求める人が、賑やかな1Fフロアを通過しないと、3Fにはいけないのでしょうか?そういう人が、1Fを繰り返し見てみようかと、思うでしょうか?逆に、1Fを目的で来た人が、3Fで、本を探すでしょうか?それを可能にするためには、ハードを作ることよりも、ソフトが肝なのです。施設に来る人は、観光地を見て回るのではなく、ある目的があって、来るのだと思います。どういう来館者を想定しているのか?来館の目的とは、どういうものを想定されているのか?ということです。

私は、ここまで書いて、何故私が怒っているのかがわかった。私には、「にぎわい」を作り出すために、図書館を利用している、と映ったのだ。

この「怒り」については、コンラート・ローレンツが「ソロモンの指輪」のまえがきで書いた言葉で許してもらおう。

「確かにこの本は怒りをもって書かれたものであるけれども、その怒りは、やはり愛から生まれたものなのだから。」

 

2つ目のパブコメ

「案」に携わった方々は、すでに読んでいると思われますが、現代思想 2018年12月 図書館の未来」に、瀬戸内市立図書館長 嶋田学氏の素晴らしい文章があります。長いですが、ぜひ、引用させてください。私が疑問に思っていたことが全て含まれています。

その上で、私のコメントは1つ。図書館法第1条の目的に立ち返って、全ての市民のための図書館として、市民を巻き込んだ再熟慮をお願いしたい。コンセプトも、長々とした説明が必要なものではなく、直感で、パッと腑に落ちるものであってほしい。

 

図書館法の第1条の目的

「国民の教育と文化の発展に寄与する」

 

岡山県瀬戸内市、人口3万七千人

市長が図書館整備を公約、図書館整備計画プロジェクトチーム

市民有志「ライブラリーの会」図書館整備要望書

「図書館整備の情報公開」

「図書館整備プロセスへの市民参加」

「図書館経験のある人材を全国公募し館長に充てる」

 

「基本構想」

「もちより・みつけ・わけあう」

「もちより」とは、市民の夢や希望、あるいは困ったことなど、様々な情報ニーズをもちよってもらうということ。そして「みつけ」とは、その答えやヒントを図書館の資料や各種情報源によって見つけてもらいたいという願い、そして「わけあう」とは。その気づきを、他の市民とも共有してもらえるような、「知の広場」にしたいという理念が込められている。

なぜ図書館なのか

最近、「にぎわい創出」、「地域活性化」という惹句とともに、これからの図書館のすがたが喧伝されている。しかし、単に住民が集い、イベントなどを通じて交流が生まれ、地域コミュニティを元気にするというのであれば、図書館でなくても構わないのではないだろうか。人々は、あるいは自治体関係者は、図書館に何を求めているのであろうか。

最近話題の図書館の動向を伝える報道のキーワードは、「来館者数」である。いかに、多くの市民がその場を訪れたかによって、「にぎわい」や「活性化」の政策目標が評価されている。

しかし、図書館は、教育基本法、社会教育法の精神に基づいた図書館法によって規定された教育文化施設である。そこでは、図書館法が目的として揚げる「国民の教育と文化の発展」に寄与する施設が中心となって取り組まれ、そうした観点での評価がなされるのが本来のあるべき姿である。それは、計量化できるものであれば、貸出冊数や予約・リクエスト数であり、調査相談件数やデータベース利用者数、資料複写件数などである。また、利用者満足度調査などの項目で、「得たい知識が得られた」、「暮らしや仕事の課題が解決できた」などの質問への回答がどの程度の高い割合を占めるかである。

しかし、そうした基本に沿って運営してきた図書館よりも、ファッショナブルなデザインをまとい、カフェや書店も複合したスタイリッシュな図書館の方が、多くの市民の来館を生むこととなった。そして、目標を上回る来館者数は、教育文化施設としての評価を飛び越えて、多くの市民の支持を得た施策の成功として物語られるのである。

しかし、そこに、図書館と称するにふさわしい「ものがたり」は、存在しているのだろうか。そこに求められているのは、図書館を利用して「知的欲求を満たす」とか「人生の意味を探る」と言った「体験」ではなく、「知的欲求が満たされる場にいる自分」という意味や記号の「消費」なのではないだろうか。

図書館が、雰囲気を味わうものとしても親しまれることはむしろ歓迎すべきことでもあろう。しかし、サービス提供サイドが、こうした「コト消費」に照準を合わせて施設計画や運営をしてしまうと、本来的な図書館の目的や機能が阻害されてしまう。そのことは避けなければならない。

図書館で育まれ、営まれる「ものがたり」

「ものがたり」というと、小説のストーリーを想像されるかもしれない。もちろん文学が私たちに与えてくれるものがたりは、人間という存在の不思議さ、怖さ、尊さ、そして生きることの意味を教えてくれる芸術だ。そうした人間が生活し、働き、人生を送る日常は、その人にとっての「ものがたり」の連続である。人間、社会、自然、宇宙など森羅万象の書物、情報を扱う図書館は、それを求める人々の「必要」という欲望の背景にある「ものがたり」が、持ち寄られる「場」である。

そして、図書館という機能は決して建物にだけ表れるものではない。

  • 移動図書館の例 自分の病気を調べる初老の女性
  • 小学生3人組 昆虫の名前を調べに 調べる楽しさ

図書館という機能がある「場」では、こうした資料が介在する「ものがたり」が無数に、そして多彩に繰り広げられている、図書館に飾りがあっても良い。けれども、飾りだけでは、人びとの「ものがたり」は、生まれないだろう。なぜ、図書館でなくてはならないのか、というその一点が、しっかりと実現できるのであれば、どんな衣装をまとっても構わない。

瀬戸内市民図書館は、今多くの市民が訪れている。中学生が館内貸出用のi-PadでYouTubeの動画を楽しみ、高齢者がWebPCコーナーで神社探訪のブログ記事を読んでいる。高校生のカップルがカウンター席でドリンクを飲みながら勉強したり、カフェスペースでは幼児を連れた若い母親が持参のお弁当を食べている。看護師の資格を取るための勉強を図書館資料と持参の問題集を使って熱心に取り組んでいる学生、病害虫対策の農業書を熱心に読み込んでいる男性、大きなトートバッグ二つぶん、絵本を借りて帰る家族連れ。

図書館のある暮らしは、穏やかで、楽しく、そして刺激的で、それでいて落ち着く。人生はなかなか想い通りにいかず、世界は相変わらず目まぐるしい。せめて、図書館という「場」だけでも、自分の呼吸で、自分にとって居心地のいい「ものがたり」を紡げるように、けれども、せいぜい世の中の半歩先ぐらいは、見通せるように、そこに集う人びとの知恵を集めて育てていきたい。

回答

先般のパブリックコメントでは、御意見をいただき、ありがとうございました。

図書館をものづくりと結び付けて他機能と合わせて複合施設としているのは、当市のアイデンティティであるものづくりを大切にしていきたいという考えによるものであり、情報や知識を収集、保管し、広く御利用いただくという市民の皆様の「学びの場」としての図書館のそもそもの機能や役割をないがしろにするものではありません。

ハードに係る部分については、既に建設を開始していることから再考できませんが、ソフトに係る部分については、施設を運営する指定管理者と共に、多くの方々の意見に耳を傾けつつ現在の課題の検証等を行い、大勢の市民の皆様に喜んでいただける運営ができるよう努めてまいりたいと考えておりますので、御理解ください。

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更新日:2020年12月07日