一ノ町中道
江戸時代、この小路一帯は、諏訪川原とよばれ田畑が存在していました。慶応2年(1866)の地図にはこの道は記載されていませんが、明治初年の地図には、無名ながら出ています。明治維新後に、この一帯に人家が立ち始めたため、開かれた道であることがうかがえます。名称は、一ノ町の諏訪川原の真ん中に造られたことから付けられたと思われます。(本町三丁目)
小路名の由来について情報をお持ちの方がいましたら、情報提供をお待ちしています。
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江戸時代、この小路一帯は、諏訪川原とよばれ田畑が存在していました。慶応2年(1866)の地図にはこの道は記載されていませんが、明治初年の地図には、無名ながら出ています。明治維新後に、この一帯に人家が立ち始めたため、開かれた道であることがうかがえます。名称は、一ノ町の諏訪川原の真ん中に造られたことから付けられたと思われます。(本町三丁目)
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更新日:2019年02月20日