御堀端通り
三条城の西側のお堀の跡で、八幡宮に近いお堀であることから 八幡堀と呼んでいました。徳誓寺の東側より天神前に至る八幡堀に沿った道であったことから御堀端通りとなったものです。幕末 には職人たちの家が立ち並び、お堀は大六という男が埋め立てたことから大六新田とも呼ばれています。 (八幡町(八幡小路))
小路名の由来について情報をお持ちの方がいましたら、 生涯学習課まで情報提供をお待ちしています。
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三条城の西側のお堀の跡で、八幡宮に近いお堀であることから 八幡堀と呼んでいました。徳誓寺の東側より天神前に至る八幡堀に沿った道であったことから御堀端通りとなったものです。幕末 には職人たちの家が立ち並び、お堀は大六という男が埋め立てたことから大六新田とも呼ばれています。 (八幡町(八幡小路))
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更新日:2019年02月20日