長野遺跡

長野遺跡出土火焔型土器(左)・王冠型土器(右)

長野遺跡出土火焔型土器(左)・王冠型土器(右)

 

1 名称  長野遺跡(ながのいせき)

2 所在地 長野

3 主な時代 縄文時代(じょうもんじだい)

4 発掘時期 昭和63年

5 概要

    長野遺跡は、五十嵐川・守門川・駒出川の合流点付近に作られた約5,000年前から3,500年前の縄文時代中期から後期の大集落です。

    平成元年に国営総合農地開発事業に伴い、約5,000平方メートルを発掘調査しました。建物がない広場を囲むように、30軒以上の竪穴式住居と多数の土坑や柱穴が検出されました。また、土器や石器などの出土品がコンテナ数百箱も発掘されています。縄文時代を代表する火焔型土器や王冠型土器も出土しました。

    この遺跡は、八十里越で五十嵐川流域の縄文遺跡群と会津とを結ぶ縄文文化の交流の場の一つであったと考えられます。

長野遺跡で発掘された竪穴式住居

長野遺跡で発掘された竪穴式住居

    発掘された多くの遺構は重なって見つかっており、何度も建て替えが行われたことがわかります。竪穴式住居には、楕円形や長方形のものなどがあり、中央には煮炊きをするための炉があります。また、フラスコ状土坑が17基検出されていますが、木の実などを貯蔵する施設と考えられます。

長野遺跡出土縄文土器その1

長野遺跡出土縄文土器その1

長野遺跡出土縄文土器その2

長野遺跡出土縄文土器その2

長野遺跡出土縄文土器その3

長野遺跡出土縄文土器その3

       縄文土器や石器も大量に出土し、中でも縄文時代の代名詞、火焔型土器や王冠型土器の出土は注目されます。これらの土器は、縄文時代中期に信濃川流域を中心に製作・使用されており、典型的なものが出土するのは、ほぼ新潟県域に限られます。また、福島県会津の影響を受けた土器も見られ、長野遺跡のムラは、「火焔の国越後新潟」と会津を結ぶ縄文文化の交流の地と言えます。この辺りは古くから八十里越を通じて会津と交流がありましたが、それが縄文時代までさかのぼることがわかります。

長野遺跡出土大珠

長野遺跡出土大珠

    石器は、矢じりや槍先などの狩猟具、石皿や磨石などの木の実をすり潰す道具、魚を捕る網のおもり、木材加工用の磨製石斧、土掘り用の打製石斧などが出土しました。

    また、大珠という大変貴重なヒスイの首飾りも出土しています。長野ムラは、地域の中核的な大集落であるため、大珠を持つことができたものと考えられます。絶景八木ヶ鼻を間近に臨み、粟ヶ岳、守門岳などの山並みに囲まれた長野ムラの人々は、三河川の合流点に近い狩猟採集に絶好のこの場所で、自然と共生し豊かに暮らしていたものと考えられます。

長野遺跡現地説明板

長野遺跡現地説明板

長野遺跡見学のようす

長野遺跡見学のようす

 

    長野遺跡に訪れていただけるように、現地に説明板を設置しています。

    また、出土品については、下田郷資料館で展示公開しています。

 

●詳細地図

下田地域の主な遺跡地図
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更新日:2019年09月30日