三条市指定有形文化財「千手観音菩薩坐像」

最明寺 千手観音菩薩坐像 全身

最明寺 千手観音菩薩坐像 全身

 

    最明寺観音堂にある四十二臂(しじゅうにひ)形式の千手観音菩薩坐像(せんじゅかんのんぼさつざぞう)は、杉とみられる針葉樹材の一木造(いちぼくづくり)で、鎌倉時代13世紀前半に制作された仏像です。後世の補修が見られるものの、千手観音坐像の古像は比較的少なく、また、頭上に三十の変化面を四段に配しその殆どを菩薩面(ぼさつめん)とした姿は稀有(けう)であり貴重な仏像です。

   なお、この仏像は毎年2月18日及び8月9日の御開帳のみ拝観が可能です。

三条市指定有形文化財「千手観音菩薩坐像」の概要

1 名称

   千手観音菩薩坐像

2 員数

   1躯

3 指定年月日

   平成22年7月26日

4 所在の場所

   三条市院内

5 所有者

   宗教法人最明寺

6 種類

   彫刻

7 品質及び形状

   針葉樹材、一木造

8 寸法又は重量

   像高116.5cm

9 製作の年代又は時代

   鎌倉時代 13世紀前半

10 伝来その他参考となるべき事項

   なし

11 説明

   杉とみられる針葉樹材で一木造(いちぼくづくり)とする本像は、構造的な簡明さと、両脚部の衣文(えもん)の鎬(しのぎ)の立った平行状の彫り口から、一見古様な平安彫刻にみえます。しかし、髪際中央にやや垂みをつける髪形や凝った毛筋彫り、結跏趺坐(けっかふざ)する両足裏の現実感に富む表現などから、実際は鎌倉時代の13世紀前半の制作になるものと思われます。やや古様な衣文、素木仕上げなどは、前身となる古像の復興が意識されてのことでしょう。

   本像は、四十二臂(しじゅうにひ)形式の千手観音坐像で、特徴的な点は頭上に三十の変化面を四段に配し、その殆どを菩薩面(ぼさつめん)としていることです。本面とも二十七面の例は京都・清水寺奥院千手観音坐像(きよみずでらおくのいんせんじゅかんのんざぞう)(重要文化財、12世紀末〜13世紀初)などの例があり、坐像である点や年代が近い点、法相宗興福寺(ほっそうしゅうこうふくじ)配下にあった頃の造像である点で注目されます。しかし、清水寺奥院像とは、脇面二面を配さない点や、額に三眼(さんがん)をあらわさない点が異なり、本像の図像的根拠は明らかではありません。本尊再興時における図像的写し崩れの可能性も考慮すべきですが、千手観音図像には十七面や五十二面をもつ例外的作例もあることから、元来は特殊な図像にもとづく感得像(かんとくぞう)であったと考えられます。前身本尊から本像への再興造立時にあたり、一般化しつつあった観音三十三応現身信仰(かんのんさんじゅうさんおうげんしんしんこう)により、仏頂面(ぶっちょうめん)、阿弥陀化仏(あみだけぶつ)、本面ともに三十三面とされたものと推定することができます。

   本像の造立年代は、最も当初の彫り口があらわれている両脚部や腹部で13世紀前半とみられますが、面相(めんそう)や上体部の表面は後世に削られて修正が施されています。また、脇手(わきしゅ)の大略や取り付け位置が後世の修理でかわり、その像容をやや損ねていますが、太めの脇手をもつ古様じたいはよく守られています。

   千手観音坐像の古像は比較的少なく、本像は、後世の補修が少なくないとはいえ、13世紀造立時の作風を十分にうかがい得るもので、図像的にも稀有な像容である点で貴重です。

   当地の古刹・最明寺の創建由来にみる千手観音像の後身像として、守り伝えられてきた歴史的意義も大きいと考えらます。

最明寺 千手観音菩薩坐像 アップ

最明寺 千手観音菩薩坐像 アップ

最明寺 千手観音菩薩坐像 顔部分

最明寺 千手観音菩薩坐像 顔部分

最明寺 千手観音菩薩坐像 左側面

最明寺 千手観音菩薩坐像 左側面

最明寺 千手観音菩薩坐像 右側面

最明寺 千手観音菩薩坐像 右側面

最明寺 千手観音菩薩坐像 右斜め

最明寺 千手観音菩薩坐像 右斜め

最明寺 千手観音菩薩坐像 頭部変化面

最明寺 千手観音菩薩坐像 頭部変化面

最明寺 千手観音菩薩坐像 脚部

最明寺 千手観音菩薩坐像 脚部

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更新日:2019年05月20日