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  松栄(まつえい)橋の建設




   ■現在は常盤橋となっている


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写真は、明治末期に撮影された常盤橋である[「写真集 三条」 荒木常能編 より掲載]



 明治14年、諏訪伝次郎(片口・嘉左エ門どん)を願い人として、三条町松屋小路から四日町渡舟場であったところにかけられた。 五十嵐川では、三条橋(現嵐川橋)についで2本目の橋である。当時は、橋を渡るのは有料であった。
 この諏訪伝次郎という人は、幼少より松尾の塾で学ばれた方で、松尾からはあつく信頼されて仕事を任されていたようである。 生まれは松尾と同じ片口村、松尾よりも7つ年下であった。松尾の側近として庄屋職を手伝い、五十嵐川築堤の ことについても、松尾と共に心血を注いだ。
 その後は、四日町に住みながら郡役所に勤められ、明治20年頃岩船郡高根(現在の朝日村)へ転居されたという。
[参考文献/諏訪利三郎著「架橋願人 諏訪伝次郎氏のこと」]



   ■現在の常盤(ときわ)橋

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