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(小学校上学年向け、会話なしバージョン)



 これは、数多くの苦なんにも負けず、立ち向かった男の物語です。

 松尾与十郎を知っていますか?
 百三十年の昔、てい防を造るために働き、ついにそれをなしとげた男の名を。

 かれは、片口という小さな村の、里正(庄屋)の家に生まれました。
 人よりはゆう福な生まれでしたが、それにおごることなく、勉学にはげみ、政治情勢を読み、自らの信念のもとに行動する人でした。

 かれの本当の財産は、お金ではありませんでした。人脈、人徳……人と人とのつながりと、人のためにつくすかれの心が、何よりの財産でした。


 ……ほんの少しだけ、かれの物語をしましょう。

 人と、水の物語です。





 青々と広がる田んぼは、たくさんの苦労の末にできています。今では、バルブをひねると水が出て、必要なときに必要なだけ、水をいきわたらせることができます。
 けれど昔は、太陽しだい、雲しだいでした。雨がふらなければ田んぼはかわき、逆にふりすぎれば川はあふれ、田んぼをどろの海に変えてしまいます。太陽が照らなければ、いねは実をつけてもその金色の頭をたれることはありません。


 昔、五十嵐川はすぐに水位が上がってあふれてしまう川でした。小さな川なら多少あふれても数けんのひ害ですみますが、五十嵐川は信濃川にそそぐ大きな川です。この地いきの人々ののどをうるおし、田畑に水をいきわたらせる大切な川ですが、ひとたびあふれると、見わたすかぎりの大地をどろの海に変えてしまいました。

 今、「三条」は五十嵐川の南という意味である「嵐南」もふくみますが、昔は川の北側だけでした。三条側には小さいながらもてい防があったので、嵐南ほどには水があふれることはほとんどありませんでした。嵐南には、てい防と言っていいものはありませんでした。

 そこで、こう水になやまされた嵐南の人々を救うために、てい防を造ろうと立ち上がった男がいました。かれこそが、松尾与十郎その人です。

てい防を造るのは、とても大変な工事です。お金もかかりますし、なにしろ大きなものですから、たくさんの人の手が必要なのです。与十郎は、いつも「村の人々のために」と考えていました。
けれど、それをよしとしない人たちもおおぜいいました。三条側の人たちです。

「嵐南にてい防ができれば、こんどは三条に水があふれてしまう」
 というのがその理由でした。与十郎はてい防を造るために、財産をなげうって運動をしましたが、三条側から反対運動がもちあがりました。
 三条の町は栄えていて、そこに水があふれたらひとたまりもありません。与十郎は三条側の言い分もよく分かっていましたが、土地はあっても米ができない、そんな中で生活するしかない嵐南の人々を見すごすわけにもいきませんでした。

 与十郎を助けたのは、お金ではなく、人でした。
戊辰戦争という日本を二つにわけて争った戦争のさいに、与十郎が命を救った清水という人や、与十郎の熱意にうたれた村人たちです。与十郎は県庁に何度もてい防を造る許可をたのみに行き、ついにはそれをもぎとりました。その道も、決してたやすいものではありませんでしたが、県令(県知事)の楠本正隆も、与十郎の熱意に動かされました。そこで、楠本県令は反対した三条側の人たちを県庁によびました。
「苦しんでいるときに助け合うことは人の道である。嵐南の村々はたび重なる水害でまいっている。これを助けることなく反対し、こばむのは、道理や恩義をわきまえないしうちだ。よく考えて、人道にしたがいなさい。」
 反対した人たちには、かえす言葉もありませんでした。

 明治八年(一八七五年)十一月十一日、いよいよ起工式が行われました。工事の費用のいくらかは、村々が出し合いました。村の男はもちろん女子どもまで、合わせて八万七千人が工事に加わりました。それは長く大変な工事でしたが、人々はてい防の完成へ向けて協力しました。人力だけがたよりの時代です。つらく苦しくとも、わずかばかりのちん金で人々は働きました。水害のない、豊かなまちを作るために。
 与十郎は、嵐南だけでなく北岸の三条側にもてい防を造りました。かれはまた、松栄橋(現在の常磐橋)を造り、五明からそこにいたる道も整備し、きょう土の発てんに力をつくしました。川よりも深いみぞのあった南北両岸の人々は、与十郎の手によって、交流を深めることになったのです。
 与十郎は、なくなるまで、治水のことばかり考えていました。人々が水におそれることなくらしていけるように、あとを親友にたのみました。与十郎の起こした一大事業は、かれの死後も引きつがれ、十二年ののちにようやく完成しました。

 今はもう水害は減り、人々は過去のこととしてわすれつつあります。しかし、この美しい風景を守るためにつくした男がいたことを、自らのためでなく人々のために生がいをかけた男のことを、どうか覚えておいてください。



      

作 高野真美(当校の卒業生)




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