
イタリヤ軒で聞いてきました
■創始者について
ピエトロ・ミリオーレ イタリア軒より提供
明治7年、イタリア人のピエトロ・ミリオーレが、県庁(当時の)に近い営所通一番町に牛肉屋兼洋食店を開いた。これがイタリア軒の始まりである。(写真はないが、普通の民家を借りて営業した、とのことである。)
ミオラ(通称)が新潟に住むようになったのは、自分が属していた曲馬団に、ケガのため置き去りにされたからである。この頃の県令は外交官出身で万事西洋好みの楠本正隆であった。楠本はミオラを気の毒がり、県費200円と調理器具一切を貸し与え、県庁に近い所に店を構えさせ、ひいきにしたという。
県令御用達とあって店は大繁盛、東中通一番町に移って牛乳販売も始め、11年には、東中通二番町(Next21北隣辺り)洋館風の店を新築した。
ところが、この店は、明治13年の大火で類焼してしまう。
新潟日報記事「イタリア軒物語」より
松尾が明治7年から10年頃まで頻繁にイタリア軒を利用していたというのには、疑問が残る。しかし、外国語に堪能な松尾と母国を離れたミオラの接点は十分に考えられる。当時は、まだ「イタリア軒」の名前もないし、宿泊施設もなかったそうである。普通の洋食屋だそうである。個人的に泊めてもらっていたのかもしれない。
新潟出張から帰ると、松尾はおみやげによく牛肉を買ってきたそうである。おそらくミオラの店で購入していたに違いない。
■イタリア軒の始まり
「西洋料理イタリア軒」の看板が見える イタリア軒より提供
明治13年の大火を機に西堀通7の現在地を購入。内部にステンドグラスを入れ、シャンデリアで飾った洋館を新築し「イタリア軒」と名付けた。高級宴会場、社交場として新潟の鹿鳴館とうたわれ、さらに繁盛した。
新潟日報記事「イタリア軒物語」より
