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  片口の松尾家跡を訪ねて




   ■現在は諏訪さんのお宅


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中央の灰色のお宅が諏訪精一様(平成13年2月逝去)方 平成11年11月



 松尾與十郎は片口村、今の三条市片口の名主に生まれた。度重なる五十嵐川の氾濫からその南側の地域、通称“嵐南地区”を守るため、私財をなげうって築堤を行い、明治8年から10年にかけてその工事が行われた。
 しかしそれがたたって家は傾き、與十郎が明治19年に55歳で死去してから11年後の明治30年、遺族は東京へ移った。



   ■長屋門の一部

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中央の物置1階が長屋門 平成12年1月


 長屋門とは、下男下女が寝泊まりしながら番もする門のことである。松尾の屋敷で残っているのは、この建物のみである。現在では、2階部分も増築され、かつての姿は、想像するしかない。
 なお、昔はこの手前側に8畳間ぐらいの部屋があったそうで、お年寄りが住んでいたそうである。



   ■長屋門の扉

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物置の入り口 平成12年1月


 この扉も昔のままだそうである。すすけてはいるが、厚くて重たい扉である。先生も何度もこの門をくぐり、扉を開け閉めしたのだろうか。 


   ■昔の地図で確認

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諏訪利三郎氏蔵 平成11年11月


 写真の中央、屋敷384(番地)、ここが松尾家であった。およそ900坪あったという。松尾家の上(南)には、赤丸があり、そこに「稲荷神社」と書いてある。耕地整理があったので、その時にここは田圃になり、現在は白山神社に合祀してあるという。地図の赤い線は道路である。 


   ■地図をかいた人々

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諏訪利三郎氏蔵 平成11年11月


 この地図に年号はないが、「越後国蒲原郡片口村田畑地引絵図」とあり、連名で「相違ありません」と書いている。その中に松尾や中澤鶴居氏(東本成寺)の名が見られる。ということは、明治初年であることが分かる。

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