鍛冶の技「墨壺」

墨壺は古代エジプトで生まれたと言われるが、当時は現在のような形状ではなく、縄を漬ける程度であったと想像されます。それが東洋、特に中国で改良され日本に伝わって、今日使用されているような洗練された型になったと思われます。

日本にある最も古い墨壺は、正倉院に保存されています。

三条で墨壺の起源は栗山源資が斉藤与吉に作らせたとの定説があり、その後、栗林、竹之内を加えた三つの系統が主流となったようです。

彼らのもとの職業は栗山が材木商、栗林は左官職、竹之内は木挽職をしていたと言われてます。当時、職人に構造的な不況感があり、年間を通して安定して出来る仕事として、墨壺の製造を始めたものと思われます。

昭和50年(1975)以後は栗林の流れはなくなり、現在は栗山、竹之内系が伝統を受け継いでいます。生産される墨壺の種類も昔は角型壺、丸型壺が主流でしたが、戦後、若葉壺が作られるようになり、更に東京の職人が作る亀彫や鶴亀彫壺が三条に伝えられました。そして、それらが多量に生産されるようになったのは、粗削りをする機械が導入された昭和30年代の後半からです。

また墨壺と一体のもので壺車があり、昔は板車に板錐で5ヶ所穴をあけて、その形が梅の花のようなことから梅車と呼ばれていました。他に、源氏壺と呼はれるものがあり、主に6本骨、8本骨の2種類がありました。

これらは合わせ型で表裏に同じ墨を入れ、ノミで両面から彫ったものでしたが、後に福田仁太郎が昭和14年(1939)に木工ミシンで骨の部分を透かす方法を始めました。

最初は足踏みミシンだったため、材料の欅が硬く1日何枚も出来なかったが、金沢市に動力用の木工ミシンがあると聞き、その機械を導入したことにより、壺車の量産が可能となり、ひいては墨壺の量産を促進することとなりました。

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更新日:2019年02月20日