三条鍛冶の技「庖丁」

日本で最も古く、由緒のはっきりしている包丁は、宮内庁正倉院に所蔵されている2点です。奈良時代は中国の先進文化がわが国へ伝来し、仏教も、政治も、生活様式も、あらゆる意味で大きな変化をとげました。東大寺の建立と共に設けられた正倉院には、その後、宮中の日用品をはじめ、シルクロード伝来の物が数多く収められ、今日に伝えられています。

その中に包丁が2点含まれています。今の刺身包丁とよく似ていますが、独特のデザインで、柄は欅で黒い漆を塗り、刃元に鉄の輪をはめ、輪と包丁のなかごの間には小さな木を埋めて留めてあります。柄に文字が彫られ、1丁の柄尻には「吉物」もう1丁の側面に「吉」柄尻には「一口」と書かれています。

和包丁が、商品として販売されるようになるまでは、刃物を打つ鍛冶屋が注文に応じて製造し、使う人々に直接納めていたと考えられます。

戦国時代、商都として発展した大阪の堺は、海外貿易や、国内の商売に繁盛を極め、やがて堺の鍛冶の中から、商品としての包丁が生産されたと言われています。

従って和包丁は、都市の鍛冶により商品化が進められ、併せて各地の地鍛冶や農具鍛冶による注文打ちの包丁とが、互いに刺激を与えながら、今日へと続いて来たと思われます。 使いみちや、使う人の好み、鍛冶の工夫により、様々な包丁が世の中で人々の暮らしを支えて来ました。

江戸時代末期、鎖国が終り、日本に再び異なる文化が流入しますが、包丁も同じで、洋包丁、中華包丁等が外国の食文化と共に入って来て、日本の鍛冶は伝統ある技術でそれらの包丁を忽ちわがものとしました。今では洋包丁や中華包丁をそれらの生まれ故郷へ輸出しています。

世の中の動きにつれ、科学技術を学び、新しい素材を活かし、製作方法を改良して、品質を高めるために研究を続けて来ました。三条の包丁は約350年前に始まった和釘づくりから進化し、江戸時代の末、今から180年程前から市場に姿を表わしました。

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更新日:2019年02月20日