三条鍛冶の歴史

三条神楽「宝剣作の舞」

三条神楽「宝剣作の舞」 三条鍛冶の歴史は、寛永2年(1625)から3年間を代官所奉行として三条に在城した大谷清兵衛が河川の氾濫に苦しむ農民を救済するため、江戸から釘鍛冶職人を招き、農家の副業として和釘の製造法を指導・奨励したのが始まりとされています。当初は農家の副業として和釘が作られていましたが、慶安2年(1649)頃には若干の鍛冶専業が現れました。万治元年(1658)の「町御検地帖」によると上町(現本町1丁目)などのほか「鍛冶町」(現本町5・6丁目)の名が記録されていますので、既に鍛冶専業職人の集落があったことが確認できます。寛文元年(1661)会津方面から鋸(のこぎり)、鉈(なた)などの新しい製造法が伝わると、製品も釘から鎌、鋸、包丁へと広がり、次第に専業鍛冶が誕生するようになりました。

この様に鍛冶専業者が増加し、鎌を初めとした刃物類が大量に製造されるに伴い、おのずと金物を取り扱う商人が出てくるようになり、やがて金物専門の商人が生まれ、近接の地域から次第に県外へと商圏を広げていきました。

(参考 三条金物卸商組合「金物と草鞋」) 現在では、三条鍛冶の伝統を受け継ぐ利器工匠具、その鍛造技術を基盤とした作業工具を始めとし、キッチン用品、大工道具、測定器具、園芸用品、アウトドア用品、リビング用品、住設機器などの金属加工を中心とした「金属産業都市・三条」へと発展しています。

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更新日:2019年02月20日