本寺小路

江戸時代の中頃、元禄16年(1703年)に東本願寺掛所(東別院)が完成し、時の村上藩領主榊原家が門前に百十八間、幅四間の道路を寄進しました。掛所は東別院と呼ばれたり、また親しみをこめて御坊様と呼ばれたりします。小路の名前も当時は御坊小路(ごぼうこうじ)、本寺小路(ほんじこうじ)、掛所小路(かけしょこうじ)などと呼ばれましたが、東本願寺が東別院を新潟県内の本寺として呼び、本寺小路と呼びならわされるようになったと言われています。裏館村田町の農民23軒が東別院前に集まり旅籠屋を建てて移り住んだ頃から本寺小路は三条町の中心地となり、東別院の行事には近郷近在から多く参詣者が集まり越後の仏都として栄えました。また、旅籠屋や芸妓屋が軒を連ね、三条の歓楽街としてにぎわいました。 (本町二丁目地内(大町・田町))

 

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本寺小路
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更新日:2019年02月20日